ボランティア

暑さと自然災害


暑さと自然災害との関連

毎日うだるような暑さが襲いかかる。
暑さだけでなく、紫外線も危険です。


地球規模での気温上昇で、北極の万年雪が大量に解けて縮小しています。
※と言われているが本当か?

一方では乾燥と高温によって砂漠化が進み、
大地の乾燥により湖が干上がり地割れが起きています。

もう一方では局地的な大雨による洪水、土砂崩れなど大規模災害が頻発しています。
※これはどうも本当に起きている、

また、地殻の変動によるプレート移動とその歪による大規模地震も頻発し、
更なる大地震も予測されている。
※地球規模で見た場合も日本列島の地震帯と海溝プレートでの危険度が増しています

いずれも地球規模での、時間軸も地球規模での事でいうなれば
地球は2004年ごろから氷河期に向っているとの説があります。
どうもイメージが結び付かないが・・・
温暖化とどっちが正しい?

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座間ハイツ防災フェア

10/16(日曜)

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地元座間市にある、東建座間ハイツで行われた、防災・減災フェアに行って参りました。

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団地各棟毎の避難訓練の後、団地内集会所などで、救急法、心肺蘇生、災害時非常用トイレ、災害伝言板171、家具の固定、消化器訓練などを展示。

他地区からSLの応援も有りました。

団地と言っても、1,000世帯以の大きな団地で、公園だけでなく、プールがあったりスーパーがあったり、チョットした小さな街の様です。

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そして、さすがに座間災害ボランティアネットワークの活動を生み出しただけあって、自治会と防災会の活動は素晴らしいものです。

ちなみにここでの高齢者比率は65歳以上35%だそうです。 高齢者パワー恐るべし!

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“ノアの方舟”に見る、究極の減災・避難行動

最初に断っておきますが、私はキリスト教徒もしくは信者ではありません。

たまたま、ミッション系の学校を卒業しましたので、授業に聖書の単位もあり、多少そのストーリーを知っている程度です。

“ノアの方舟”は「創世記」(6~9章)に登場する物語です。

とても興味深い”物語”であることは間違いありません。

簡単に要約すると、“神の啓示”により、大洪水(災害)の起きる事を知ったノアは、“その日”に備え、「箱船」を作り、そしてその脱出ポッドを作っただけでなく、大洪水後を想定した準備を行った点で、“究極の”減災・避難行動と言えるのではないでしょうか。

自分とその家族が“それ”に乗って逃げるだけでなく、あらかじめ乗船者リスト(動物と植物ばかりだが)を作成し、被最後の世界での当座の食糧の準備と、その後の世界の再建を考えて、動物や家畜はつがいとし、植物の種など諸々を載せたとあります。

また、”広報活動”とでも言うべく、衆人に向け災害の起きる事を知らしめる活動も行いましたが、全く聴く耳を持たなかった人々は、備えをすることも無く、”大洪水”により流され滅んでしまったというものです。

「神の啓示」はさておいたとしても、自然災害は繰り返し訪れ、それらは絶対に避けられないものなのです。

2011年3月11日に、あれだけの大災害が起きてもなお、何と“他人事”の人々の多い事でしょうか。

1995年(平成7年)1月17日(火)阪神淡路大震災もそうです。

多くのボランティアが駆け付け、「ボランティア元年」とまで言われたこの震災においても、”あくまでも他人事”の人たちが多かったのは事実です。

その時、私自身もその「他人事」を決め込んだ一人でした。

しかし、そのことが16年の時を経てもなお、”小骨の刺さった”ような、後悔と言う自分への責めの気持として心にあり続けたのです。

ようやく東日本大震災において、”他人事”としない自分を取り戻す事ができました。

これを逃し、災害復興の微力としてでも行動を起こさなければ、自分もまた”人として死んだに等しい”と思い、”被災地”に赴き、災害ボランティアとしての一歩を踏み出したのです。

さて、他人事には関心が無く、日々眼の前の事だけに追われ、捉われ過ごす人たちを批判する気持などは更々ありません。

しかし、”自分自身の被災”を経験する前に、そろそろ、 「ノアの方舟」に学んでも良いのではないでしょうか?

あくまでも解り易くを考えて、こちらをお勧めします。

聖書に興味のある方はこちらを。

二百十日 = 九月一日 = 何の日?

9月1日といえば新学期の始まりです。

また、「防災の日」であることも忘れてはいけません。

Bousai
しかし、この「防災の日」を案外というよりも、知らない人が多いのにビックリします。

さて、昔の暦では雑節のひとつで「二百十日(にひゃくとおか)」と云います。

立春(2月4日ごろ)から数えて210日目という意味もあり、毎年9月1日ごろにあたります。

そして、昔から厄日とされています。

このころは稲の開花時期にあたり、重要な時期です。

しかし、農作物に甚大な影響を与える台風が襲来することが多く、過去の経験からこの日を厄日として戒めてきたのです。

また、漁師にとっても生死に関わる問題です。

現代のように気象観測技術のめざましい発達で、かなりの精度で台風の予測ができるようになりました。

昔の人々はこの日を恐れて警戒し、風を鎮める祭りを行って収穫の無事を祈るなどしていたようです。

いまも、その名残りで祭りを行う地方があります。

 

東日本大震災で防災の大切さを痛感しましたが、人間は月日が経つと気が緩みがちになります。

あの東日本大震災でさえ半年を待たずに風化しようとしています。

今年も、今日9月1日の防災の日をきっかけに、暮らしの防災対策を再確認しておきましょう。
ちょっとしたことが、いざというときの明暗を分けるかもしれません。

Sonae1
なお、「防災の日」は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんで1960年(昭和35年)に制定され、犠牲者の慰霊とともに、災害に備えて避難訓練や防災用品の点検などを促すことなどを目的とします。

制定されたのは、昭和34年台風第15号の伊勢湾台風(死者・行方不明者およそ5100人、負傷者およそ39000人)の翌年からになります。
これをきっかけに災害対策基本法が制定されました。

読書の秋

繰り返し起きるのか!?”関東大震災”

Tokyo

猛煙上げて燃える東京市街

「関東大震災」

こちらも、故 吉村 昭 氏 の著になる。

特に首都圏のみならず、都市部にお住まいの方は読んでおくべきと思います。

こんなくだりがあります。

「地震の襲来に民衆は狼狽し、発火原因になるものを消すゆとりがなどなかった。そのため市内の百三十余カ所から一斉に火の手が上がった。」

Kasaisenpu

                    火災旋風

「火災が起こると同時に水道は壮絶し、もともと非力な消防隊はさらに機能を失い、火は四方にひろがった。そうした中で一般市民は家財に執着して避難することをためらっている間に猛火が迫り、逃げる機会を失った。」

大正12年9月1日11時58分32秒 相模湾沖を震源とした、M7.9の大事地震が発生により、37万2千659戸が倒壊、焼失し、10万5千385人の人命が失われました。

特に東京と神奈川の被害が最も大きく、死者の大部分が火災による焼死で、倒壊による人数をはるかに上回るものであった事はあまりにも有名です。

火災による被害の拡大は都市型災害の特徴的なものとしての認識が不可欠ではないでしょうか。

Hifukushou

被服省跡に避難していた約4万人の殆んどが焼死した史実から、私達は何を学ばなければいけないのでしょう。

もし、私達が住む街で、職場で、通勤経路で災害に遭遇したらどうなるでしょう?

Kantoudaisinnsai

                    震度分布図

明治二十九年6月15日に三陸沖地震によって引き起こされた大津波によって東北地方が大きな被害を受けました。

関東大震災はその27年後の事です。

おりしも、3月11日東日本大震災が東北地方を襲いました。

「自然災害は、今後も果てしなく繰り返される。」

とするならば、今まさに首都を襲う大地震が起きる可能性は嫌が上にも高まっていると言わざるを得ないと思います。

吉村昭 氏この2つの著書は、(記録)小説の域にとどまらず、現代に生きる私達に、自然災害についての多くの事を語り、そして学ばせてくれます。

お薦めの著書です。 是非「三陸海岸大津波」と「関東大震災」は続けて2冊をお読みください。 特に、災害ボランティアを標榜する方には必読本です。

これを読まずして東日本大震災は・・・ ”三陸海岸大津波”

遅きにして、故 吉村 昭 氏の「三陸海岸大津波」を読み終えました。

なんとリアルに、今回の東日本大震災による津波被害の実体が鮮明に想起されます。

自然災害に対する防災や減災活動を標榜する者や、災害ボランティアには、必読の書と言って良いでしょう。

本著書の後書きんにあたる「津波との闘い」で、吉村 昭 氏は「津波は自然災害である。

ということは、今後も果てしなく反復される事を意味している。」と述べています。

すなわち、過去の歴史を忘れてしまっているのは人間なのだと感じました。

それから、この「三陸海岸大津波」には“こどもの眼”から見た津波についても書かれています。

これは、先に読ませて貰った「つなみ(被災地のこども80人の作文集)」で書かれていたものと全く同じだと感じました。

本書をお勧めしたい理由は、他にもあります。

それは本書の増版分の著者への印税全てが、今回の東日本大震災への義援金とされるからです。

防災訓練にはとりあえず参加すべし!

A1
自分が住んでいる町が、地域が、場所が、いかに危険と隣り合わせでいるかを知る人は少ない。

市町村の防災計画を見たことはあるだろうか?

とてもお粗末としか言いようがない。

ハザードマップを見たことがあるだろうか?

A5

とても恐ろしいとしか言いようがない。(この地域住民は全滅か!?)

そんなところに奥さんと子供を置いて離れた仕事場に向かうのだ。

自分と家族を守る。

自分は良いとして、離れた家族は誰が守ってくれるんんだ?

安否確認はどうする?

携帯はつながるのか?

ひとまず”防災訓練”なるものに参加してみよう。

なにかヒントになるものは得られるかもしれない。

A31

現在読書中

”つなみ”が来たところは、必ずまた来る

歴史を振り返り、過去に津波被害があった場所には、必ず津波はまた起きることを学ばねばならない。

気仙沼、6000年に6回大津波 「貞観」石巻以北も到達か(河北新報)

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110822t75007.htm

津波が起こった場所はなにも、三陸だけとは限らない。

私たちの住む場所で、歴史上または郷土史を紐解いてみる必要がある。

「ここは大丈夫、津波なんか来た事ないから」

というのはたかだか自分の生きた歴史の範囲でしかない。

”先人の言い伝え”が途絶えて久しい、場所においてはやはり被害が大きかったと言わざるを得ない。

「ここより下に(家を)建てるべからず」

「つなみ”でんでんこ”」

”地震列島ニッポン”

とりもなおさず、”津波列島”でもある。

日本の地震津波災害一覧表

過去に起きた大きな地震の余震と誘発地震

歴史地震

今私が読んでいる本

※読み終えたら感想を書く

次は何をしようか?

さて、次は何をしようか?

アンテナを張り、聞こえない声に耳を傾けなければならない。

本当に何が必要で、何を望まれているのかを…

押し付けであってはならない。 独りよがりであってはならない。

やりたい事とやるべき事が同じとは限らない。

もう、若い人の様には身体を動かす事が出来ない。

ならば、若い人には出来ない事をやれば良い。

ともかく、できる事を、できるところから。

災害ボランティアコーディネーター養成講座もあと2回。

次は子供達に笑顔を取り戻させたい。 happy01

12月

クリスマス

子供達の声に耳を傾けよう

岐路に立つボランティア「同情するなら仕事をくれ!」

ハッとさせられ、胸が痛くなる。

切々と訴える“被災者”の葛藤にどう応えるんだ!?

この発言だけですべてを判断することは出来ないが

震災から5ヶ月が経ち、もう一度ボランティア活動を考える。

考えても良い時期かもしれない。

以下「つぶやきかさこ」さんのブログより、内容が正確に伝わる様に加減筆なく、全文引用させて頂きました。

http://t.co/MigDkfS

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2011年 08月 17日
ボランティアが被災者の自立を阻害する?!~震災5ヵ月後のボランティアのあり方を問う 

無償の善意(ボランティア)に支配されて、私たち(被災者)の出る幕がありません。
復興作業ならボランティアではなく、
時給600円でもいいから地元の失業者を使ってほしい。
今、望んでいること。
それは、仕事がほしい。ただそれだけです。
自分で稼ぐことは、社会参加と自立への第一歩なんです。
このままでは東北は復興しても、人は復興できないかもしれない・・・・・・。

震災で津波被害はまぬがれたが、
震災のせいで仕事を失った仙台市在住の50歳過ぎの女性から、
今日メールがきた。
そこにはボランティアに感謝しつつも、
でも結果としてそれが被災者の自立支援を奪っているのではないかという、
自身の困窮した立場からくる強烈なメッセージだった。

・・・以下メール引用・・・

私は3.11の震災で津波被害はまぬがれましたが、収入を失いました。
当時はただただ呆然と過ごしており、
これからの身の振り方など考える余裕もありませんでした。
津波で悲惨な目にあった沿岸部の人たちを思うと、
いてもたってもいられなくなり
自腹をきっても物資や労力を提供していました。
しかしそれも限界がありました。
収入がないまま5か月が過ぎてしまいましたから。

そのうち被災者にもなにかしら
「仕事」としての復興支援がまわってくるだろうと期待していました。
でも、相変わらず、無償ボランティアの募集しかありません。
被災者を積極的に雇用する企業が出始めましたが、
男性限定のがれき撤去や仮設建設要員です。
おばさんと年寄りは必要とされていません。

復興に一番参加したいのは地元の人間です。
せめてガソリン代と昼食代くらい確保できないものかと
企業の助成金申請を試みましたが、すべて却下されました。
助成金対象となるのは、実績のある有名な団体のようで、
個人レベルは対象外なのでしょう。

5か月もたつのに、いまだに他県から
「ボランティアツアー」なるもので
無償奉仕の若者がなだれこんできます。
ツアー参加費は旅行会社に入り、
善意の若者は自腹で何かを学んで帰り、
地元の失業者には仕事がまわらない。

うまく言えないのですが、
「なにかがおかしい」という思いが日に日に増してくるのです。

これは、少なくとも私のまわりでは4月頃からささやかれていました。
「おれたちを使ってくれたらいちばんいいのに!」と。
でも、善意のかたまりのような人たちが
無償で汗を流して助けてくれるのを目の前になにも言えません。

この人たちの、心底純粋な人助けには感謝しています。
しかし有名なボラ組織の上層部に私たちの本音は見えていないでしょう。

「東北人の底力」「着実に復興に向かって」「ひとつになろう」
などと美しい言葉に私たちは酔えないのです。

仕事がほしい、それだけです。
田畑のゴミ拾いならおばさんや年寄りにもできます。
自給600円でもやるでしょう。その日の食費だけでもいいのです。
自分で稼ぐことは、社会参加と自立への第一歩なんです。

そんなことをずっと思いながら
自宅にこもってネットサーフィンすることしかできない毎日。
そしてかさこさんのブログにたどり着いた次第です。
震災の記事はすべてに頷きながら拝見いたしました。
いろいろとありがとうございます。

マンパワーが足りない、もっとボランティアを!
とまだ騒いでるんですが、
人手が足りないわけがありません。
こっちは失業者だらけなんですから。

ただ、無償の善意に支配されて、
私たちの出る幕がないだけなんです。
それをなぜだれも気が付かないのでしょうか。

物質的なものと労力支援の次は、
被災者の自立への援助なのではないでしょうか。
行政はあてになりません。
マスコミでは報道規制がかけられているようですが、
震災後生き延びた人が行方不明になっていたり
自死した方もたくさんいるようです。
希望の光が見えず絶望したからです。

5か月過ぎて、なんとか持ちこたえた人たちも、
これから先の見通しがたたないままどうなっていくんでしょう。
私もそのひとりではありますが。

住むとこは無事だったけど、収入が途絶えた、
義捐金対象外、性別年齢制限で仕事が見つからない、
という中途半端な立ち位置にいる人たちは
ものすごく多いはずです。

このままでは東北は復興しても、人は復興できないかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・

被災地、被災者の心の闇の深さはあまりにも深刻だ。
津波被害にあったわけではないという“負い目”と、
ボランティアという圧倒的“正義”=善意の前に、
震災後、誰にも言えないモヤモヤした気持ちを抱えたまま、
震災から5ヵ月が過ぎ、仕事と収入は失ったままの心の叫び。

「作業があるなら被災者自身にやらせてほしい」という思いも、
無償ボランティアの善意の前に消え失せる。
しかしわざわざ被災地のために、
時間とお金と労力をかけて来てくれる、
ボランティアの人たちを批判なんてできないという葛藤。
でも結果として一部のボランティアの存在が、
被災者の自立支援の“障害”になっているという現実。

「同情するなら仕事をくれ」
今、被災地・被災者に最も必要なのは、金と仕事。
きれいごとで現実は乗り越えられない。
金さえあれば、仕事さえあれば、
絶望的な被害状況でも少しは未来に希望が持てる。

と8月10日のブログ、
「被災地温泉旅館の悲哀~被災地旅行はダイレクトな義援金」で書いたが、
まさにその想いがこのメールからひしひしと伝わってくる。

8月7日に福島いわき市久ノ浜の行った際、
津波被害エリアをわきあいあいと清掃するボランティアの人たちを見て、
私はえも言われぬ違和感を覚えていた。

「原発から30km、津波被害が再発する堤防もないこの場所を、
今、必死になって手作業で清掃することに意味があるの?」
「それはここの被災地に住む人が望んでいることなの?」
「無料施設に泊まって清掃するぐらいなら、
せめて地元のホテルや旅館に泊まってあげる方が、
よっぽど被災地・被災者支援になるんじゃないの?」と。

この違和感を強めたのは前日にある出来事があったからだ。
私は被災者の取材をするために、
被災者が大挙して入居している市の借上住宅を訪れていた。
そこのロビーで立ち話をしていると、
ボランティアが清掃活動をしている、
被災した久ノ浜の人と出会った。

彼は海沿いで破壊された家に、
「12年間ありがとう」と別れの言葉を書き込んでいた人だった。
この250世帯入るいわき市の借上集合住宅に、
久ノ浜から逃げてきた人が半数ぐらいいる。

「どの部屋に誰がいるのかもわからない。
もう久ノ浜には戻れないだろうし、
ここでしばらく生活をしていくわけだから、
久ノ浜の人たちとのコミュニティづくりを、
新たにし直さなきゃと考え、
全世帯のポストにアンケート用紙を配布しようと思っていたんです」

彼は250世帯分のアンケート用紙を持っていた。
ここでの慣れない新生活を互いに支えあうため、、
久ノ浜の人の部屋番号と名前と連絡先を書いた、
名簿を作ろうとしていたのだ。

今、久ノ浜に必要なのは、
また放射能被害や津波被害のある可能性がある、
場所の清掃活動なんかじゃなく、
そこで復興支援の名のもと、花火を上げることじゃなく、
いわき市内の中心部に移って、
ここでの暮らしに慣れようとしている被災者の人たちの、
コミュニティづくりを支援してあげることじゃないか。

私がここで取材していた被災者の方は、
同じく津波被害がひどかった別の地区にいた方で、
まさにここでの生活を円滑にするために、
久ノ浜の人と同じように、
どうやって住んでいる人から名前と連絡先を聞きだそうか、
それに悩んでいたのだ。

今、被災者が何の手助けをしてほしいのか。
実はそれに気づいているボランティアの方もいた。
この取材中、久ノ浜の清掃ボランティアグループにもかかわらず、
清掃活動から抜け出し、借上住宅に移った被災者の方に、
「今、何に困っているか」を聞いているボランティアの女性が1人いた。

彼女だけはきっと気づいたのだろう。
被災者が戻る気のない場所を、
手作業で清掃活動なんかしても意味がない。
そもそもそこにほとんど被災者がいないのだから、
ボランティアをして支援をするなら、
被災者がいる場所に行き、何が今、必要なのか、
聞くべきではないかと。

震災直後の混乱した時期で、
圧倒的に人手も物資も足りない時期なら、
被災地外から大挙してボランティアが押し寄せ、
何でもいいから無償で手伝うということは、
実に素晴らしいことだし、
被災地、被災者のためになると思う。

でももう震災から5ヵ月が過ぎ、
福島いわき市ではほとんど避難所は閉鎖され、
すでに被災者は仮設や借上住宅に移っている。
津波被害のあった場所から自分の持ち物を持ち出す作業は、
ほとんど終わっており、
高台移転になるかもしれない、
壊滅的な津波被害エリアを、
今、せっせときれいにすることに、
どれだけの意味があるのだろうか。

被災者が今、望んでいることをボランティアがしているのか?
支援するならまず被災者の声に耳を傾けてからではないか?
ボランティアの存在がかえって被災地の自立支援を阻害していないか?
ボランティアという名の善意の押し売りによる、
単なる自己満足になっていないだろうか?

ボランティアに来ている人たちは、
ほんと素晴らしい人ばかりだと私は思う。
多くの人が「ボランティアに行きたい」と思っても、
現実に行動する勇気もなく、
ただ家で寝転がっている人が多い中、
仕事もしていて時間の制約もあり、
お金に余裕があるわけではないのに、
「これだけの大災害があったのだから、
自分たちができることがあるのなら、
休日を潰してでも被災地に行かなきゃ」
というその行動力は本当に素晴らしいことだと思う。

でもやっていることが被災地の役に立っていないとか、
紹介したメールのように、
無償ボランティアの存在が、
かえって被災者の自立支援の阻害要因になっているのでは、
手段と目的が混同してしまっている。

目的は何なのか?
自分たちの自己満足ではなかろう。

取材して思うのは、被災者の方々はボランティアに対して、
なかなか本音を言わないということだ。
なぜなら「役に立っているかどうかは別として、
わざわざ遠くからきて、こんなにも働いてくれている」
という遠慮があるからだ。

だから誰にも言えない。
だから余計にストレスがたまる。
そういう被災者の方がいるという現実。

5月に久ノ浜を訪れた時のこと。
津波被害で町はほとんど消えた状況だが、
幸いにして床上浸水のみで家は残った酒屋さんは、
避難所暮らしをしてバラバラになった久ノ浜の人たちが、
集まってこれる場所になるよう、
店を開けて、地元の人のたまり場として開放し、
酒を売る代わりに衣類などの救援物資の配布をあわせて行っていた。

6月に訪れた時もそんな状況だったが、
8月に店を訪れると状況は大きく変わっていた。
支援物資はなくなり、大量の酒ケースが積まれていた。

商売が再開できるほど、久ノ浜に人が戻っているのか?
と思ったがそうではないらしい。

「もうここの人らは避難所から仮設住宅や借上住宅に移って、
新しい生活はじめるようになって、
市内の方が店もあるし便利だし、
前みたいにうちに来る人は減ってしまった。

この大量の酒ケースはここで売るためのものじゃなく、
市内に行って売るためのものですよ。
もうこの久ノ浜じゃ商売は無理かもしれない。
今はボランティアの人とかいるから、
ちょこちょこ物は買っていってくれるけど・・・」

まさにメールを送ってきてくれた「被災者」の人と、
状況は極めて似ている。
自分たちは津波被害にあっていなくても、
周囲が津波被害にあってしまえば、
もはや自分たちの生活は成り立たない。
しかし家は被害がないため、
避難所に行くことも、仮設に移ることもできないし、
義援金も津波被害者のようにいっぱいもらえるわけではない。
こうした中途半端な立場に置かれた被災者が、
ボランティアの清掃活動を横目に、
今後の暮らしに希望を見出せず、苦悩しているのだ。

津波被害者だけが被災者ではない。
津波被害地区だけが被災地ではない。

そこを履き違えて、震災から5ヵ月が過ぎた今も、
被災地の“目に見える”支援ばかりしていると、
すぐそばにいる被災者の心の闇を見逃しかねなくなる。

今、「被災者」に「被災地」に必要な支援とは、
ボランティアとは何なのか。

極論すれば、被災地まで5000円のバス代かけて、
清掃活動するより、
東京にいて被災地原産の酒でも5000円分飲んだ方が、
はるかに被災者、被災地のためになる可能性もある。

無償の善意ほど恐ろしいものはない。
それをよく考えずに正義の名のもと振り回せば、
被災地、被災者を傷つけることになりかねない。

今一度、震災から5ヵ月過ぎた今、
支援をするなら何をすることが、
被災地、被災者のためになるのか、
しっかり考えたい。

メールをくれた「被災者」の方と、
メールでやりとりしている時に、
印象的だったのがこの言葉。

「私たちは、味方を欲しているのではなく、
理解者を必要としています」

「味方のふり」したボランティアではなく、
被災者・被災地の心の声に傾けることから始めたい。

避難所から仮設住宅などに被災者が移りつつある今、
阪神大震災時に問題となった孤独死が、
今回も再び起きそうな気配があり、
今後もボランティアの果す役割は重要だ。
だからこそせっかく行くなら、
被災者・被災地の役立つことをしたい。

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